昨日、ワッツと相楽と一緒に観てきました。
エヴァの最終作という事で長年追い続けてきた身としては早く観たくて仕方ありませんでしたが、コロナの影響で再三延期され、突然封切されたと思ったら公開日がド平日の月曜日ということで仕事で行けず、結局休日出勤の後というボロボロの状態で観るという事になってしまいました。
本当にこの一週間は長かったです。
5日もお預けを食らい続けてきたので、上映時間まで相楽とスタバで時間を潰していた時に「やっとあと少しでエヴァの呪縛から解き放たれるんだな…」とボソッと呟いてたんですが、観て驚きましたね。
エヴァを追い続けて25年。
本当にその呪縛から解放されるとは思っても見ませんでした。
今までエヴァはスッキリ終わった試しがありません。
まだ続きがある、どんどん謎が増える、観てる側はそれに追い付こうと必死ではありますが相手は光の速さでこっちを置いてけぼりにして過ぎ去り、残るのは大量の謎と後味も歯切れも悪い結末のみ。
テレビシリーズからずっと繰り返されてきたお約束ですが、斬新な手法やデザインで作られた映像に魅せられて結局自分はここまで走らされてきました。
そんな自分だから映画の最後の最後まで疑っていたんですよ。
スタッフロールの終わりにまた気持ち悪いモヤモヤを残すんではないかと。
自分だけじゃなく他の観客もみんな訓練されたエヴァファンだったんでしょうね。
2時間30分越えの長丁場に耐えきれなくてエンディングでトイレに立った人もいたんですが、まだ何かあるんじゃないかと思ってスタッフロールなのにわざわざ戻ってきて最後まで観てましたからね。
そして旧エヴァを思わせる明朝体の「終劇」の二文字の後にスタジオカラーのロゴが出て本当に終わった時は、非常にスッキリいたしました。
ああ終わったんだ、エヴァが。
心底そう思えるほど今回の「シン」で納得の出来る終わりを見せてくれました。
それだけ今までのエヴァの「気持ち悪い」もの全てに落とし前をつけてくれたって事です。
あの世界、あの人物、あの人間関係、あの旧劇の結末。
エヴァンゲリオンという作品がシンジの姿を借りて自らの過ち一つ一つに真摯に向き合って受け止めて行く事で、作品を終わらせ、最後に自らの足で現実社会に駆け出していく事を以て召されていったんだなと思いましたね。
ほんと皆この25年で大人になったんだよなぁとしみじみ感じました。
情報量が非常に多くて相変わらず纏め切れないので、後は思った事を個別に書いていこうと思います。
「加持さんの最後」
Qで登場しなかった加持さんはあの時点で既に亡くなっている事が明らかにされました。
破のラストで起きたサードインパクトを止めるために自らの命を賭したそうです。
そしてそこでもう一つ明かされたのは加持さんとミサトさんの間に子供が生まれていた事です。
つまりQのミサト艦長は経産婦だったんですね。
シンジも加持さんも自らの意思で送り出してしまった自責の念から、産まれた自分の子供に一度も会っていないそうで、その経緯もあってQではシンジにあれほど冷たく接していたようです。
「シン」冒頭のこれまでのあらすじで「行きなさいシンジ君!」のシーンが使われていて、またヘイトを引き起こすんじゃないかとおもいましたが、この伏線回収の為にあえて使用したんだと分かって納得しました。
あらすじまで利用するんだから上手いですね。
ちなみにミサトさんの息子のリョウジ君は親に見放された辺りがシンジと似た境遇ではありますが、あっちと違って明るく逞しく育っているようです。
悪い歴史が繰り返されなくて良かった良かった。
第三村
Qの結末の後、ヴンダーとの合流の為に放浪を始めたエヴァパイロット御一行ですが、久々に登場した相田ケンスケに救助されて生き残った人々の暮らす「第三村」へと辿り着きます。
そこには同じクラスメイトだったトウジやヒカリも暮らしており、彼らとの交流でシンジも再び心を開き、自ら戦う意思を持ち始めます。
この展開に一緒に観ていたワッツは驚いていたようですが、Qの最後の次回予告で「生き残った人々との出会いが…」とか言っていたので、何となく自分はトウジとケンスケ辺りは出るんだろうなと予想はしていました。
そもそもQの段階でトウジの妹のサクラが出ていましたし、シンジの支給されたYシャツがトウジの物だったりしましたしね。
何かのフラグだろうと勘ぐってはいましたよ。
むしろ自分は戦後の昭和のような生活様式の第三村その物が驚きでしたけどね。
アヤナミが野良仕事するとは夢にも思わんかったわ…。
牧歌的な生活がエヴァで描かれた事自体、非常に新鮮でした。
アスカ
入場の際にこんなのを貰いました。
アスカの深々度ダイブ用耐圧試作プラグスーツ姿のイラストです。
アスカ派の自分としては嬉しいプレゼントでしたね。
これのデカい絵があるなら額に入れて飾りたいくらいです。
自分が中学の頃、クラスメイトのエヴァファンは一様にレイ派だったので、肩身が狭かったのを覚えています。
エヴァ以降のアニメや漫画は綾波レイのパチモンみたいなキャラで溢れかえっていたので、それほどあの無口で無垢でミステリアスなキャラクター像が世の中に与えた衝撃は大きかったんでしょうが、自分はそれよりブロンドの髪を靡かせて勝気な態度を取るアスカの方が眩しく映りましたね。
テレビ版の主題歌である「残酷な天使のテーゼ」のジャケを今見てもやはりアスカの方に惹かれるものがあります。
世間にはレイに性癖を狂わされたという人は大勢いるようですが、自分も何処かでアスカに少なからず影響を受けているんでしょうか。
同人作品だったけど「RE-TAKE」とか最高に面白かったしなぁ。
まぁ、そんな事は置いといて今作でアスカに人造人間説が出てきました。
「シキナミタイプ」とかいう呼ばれ方をしていましたが、作中では幼少期の姿も描かれていたのでレイと違っていきなりあの年の頃の体格になった訳では無いようです。
しかし破で使徒と融合してしまってから眠る事も不要な体になってしまったようで、なかなか難儀してるっぽいですな。
おまけに南極での決戦では本当に使徒化してしまったりするので、アスカ派の自分としては痛々しく思う事ばかりでしたよ。
でも旧劇の結末への救いもありましたし、最終的には穏やかな気持ちで見れました。
この子には本当に幸せになって欲しいものです。
ラストの解釈
映画の最後でシンジは駅のホームで目覚めます。
成長してスーツを身に纏ったその姿は立派な社会人そのものです。
そして恋人のような間柄になったマリと手を繋いでホームから駆け出し、現実の映像を交えてシン・エヴァンゲリオンは幕を閉じます。
これまでの事が夢だったかのようなオチとも取れますが、自分はこれを作り手も受け手もこの25年で大人になって、心のキャパシティも大きくなったことを表しているんだと思います。
自分も進学して、就職して、出会いや別れを経験して、今や社会でいぶし銀の活躍が出来るほどになれたと自覚していますからね。
今思い返せばTVシリーズや旧劇場版は思春期特有の残酷さを伴う妄想にすら感じます。
それを大人になった作り手が過去を受け止めて清算し、思い出に蓋をして社会に旅立つまでを描いたのが今作なんでしょうね。
一応自分はそう解釈しております。
少し貞元版エヴァの結末に似てるようにも思いますが、やっぱ人間は清濁併せ吞んで成長するしか自分の居場所を確立出来ない生き物なんでしょうな。
それを再確認して自分もエヴァから卒業出来たように思います。
今日、すき屋でエヴァコラボやってるのを見ましたけど「でももうエヴァ終わったしなぁ…」とか思っちゃいましたしね。
前だったら「映画も観たし、コラボメニュー食うか!」とか決断してたでしょうから、本当に自分の中のエヴァンゲリオンにはケリがついたんだと思います。
公開が月曜に決まって当初は休みまで観に行けない事を憤っておりましたけど、今では一刻も早くみんなのエヴァを終わらせてやりたいと思うスタッフの思いやりだったのではないかと考えたりしています。
まだ観ていないファンなら是非劇場へ足を運ぶことをお勧めしますよ。
という訳で一先ず感想をぶちまけてみました。
まだ何か思いついたら書くかもしれません。