「新訳Zガンダム」総評

少し遅くなりましたが、3部作をすべて見たという事で総評を書かせていただきます。
この「新訳Z」はテレビシリーズに新作カットを加えた劇場版なんですが、今まで見てきた1作目と2作目は割かし「総集編」という色が強かったように感じました。
がしかし、最後の3作目に入った途端に本題の「新訳」という要素が強まり、最終的にはテレビ版とは違う結末にまで至るという変化を見せます。
具体的に例を挙げると…

  1. 続編でジュドー・アーシタと絡むはずのヤザンが死ぬ
  2. シロッコが死ぬ際、カミーユが精神崩壊せずに済む


という辺りがストーリー上の大きな変更点でしょう。
つまりこの状態で話が進んでしまった場合、ZZ序盤の敵役であるヤザンが登場出来ないばかりか、主人公のジュドーZガンダムに乗れなくなってしまうという異常事態に陥ってしまいます。
そうなるとZZの物語も、それ以降のガンダムサーガも実質消滅してしまったと言っても過言ではありません。


では何故、ガンダムの生みの親である富野由悠季監督はこのような結末を作ったんでしょうか?
これはあくまで個人の推測に過ぎないんですが、監督はZ以降生まれてしまったガンダムに対する悪意の念*1を消したかったからではないかと思います。


「もしあの時Zでガンダムを終わりにしておけば、Vとかで癇癪起こしたりしなかったのに…」


まぁ、そんな感じの願いがこの新訳でのエンディングに少なからず込められていたようにオレは思ったんです。
つまりこの3部作は富野監督にとってのハッピーエンドってわけですよ。
もちろんあの幸せな結末は監督が人としてすっかり丸くなられた証拠でもあるんですけど、そこに至るまでの苦労を多少なりとも知ってる分、オレはこのような斜に構えた見方を禁ずる事が出来ません。
だからこそ、何だか時間が経てば経つほど「あー、良いエンディングだったなぁ」とか思えて目頭が熱くなってしまいます。
…本当にこういう物を作れるようになってくれてオレは嬉しいです、はい。
今後も監督が作ってくださる作品を楽しみにしたいですね。
いや、ガンダムはもう∀で完結したと思ってますから、これは無理に作らなくても良いですけど…。

*1:富野監督はガンダムを続編展開させてからはほとんどガンダムしか作らせて貰えず、一時期はその鬱積した念によって「ガンダムなんて無くなってしまえば良い」とまで思っていたらしい。その想いが顕著に現れているのが「機動戦士Vガンダム」辺りであり、監督からすればこれは黒歴史にあたると言われる。